2017 - 07 - 14
福岡県八女市。道に迷って辿り着いた先には…「両手がない石人」がありました。お墓の守神らしきこの石人は、何やら理由がありそうです。
八女茶で有名な福岡県八女市。
目に鮮やかなお茶の葉。
この八女の地には「古墳」がたくさんあるんですねー。
初めて知りました。
国指定史跡の八女古墳群 岩戸山古墳。
北部九州最大の前方後円墳である「岩戸山古墳」。
今から約1500年前の古墳時代、福岡で大豪族だった筑紫君磐井(つくしのきみいわい)のお墓だそうです。
筑紫君磐井…
ご存知ですか??
◆筑紫君「磐井」とは?
時代は遡って、弥生時代。
磐井氏をはじめ、北部九州の豪族たちは海を制し、大陸の中国や朝鮮半島との交流をもっていました。
百済と親交を深めていた当時のヤマト政権。
新羅と独自のルートを持っていた磐井氏。
当時の日本は、まだ統一国家ではなく、有力豪族が各地を治めていた時代。
ヤマトと地方豪族との関係性は、対等でありながらも…そこにはゆるやかな上下関係が存在しました。
しかし、軍事・外交・内政…
すべてにおいて自立し、財力を持っていた磐井氏は、巨大な墓「岩戸山古墳」を築きます。
生前に自分自身でお墓を築いたんですね。
当時のヤマトの大王である継体天皇のお墓に遜色ないほどの大きさであることから、磐井氏の勢力がわかります。
◆「磐井の乱」勃発!
当時のヤマト王権は、朝鮮半島進出を目指していました。
そのため、朝鮮半島に近い九州の豪族たちに、物資や食糧を要求します。
最初は従っていた豪族たちも、軍事的要求がエスカレートしていくにつれて、次第に不満がたまっていきます。
財力となる基盤を持っていた磐井氏は、火の国(熊本)、豊の国(大分)と手を組み、ついに立ち上がります。
それが527年に始まった『磐井の乱』です。
1年にも及ぶ戦いで、古代史上の大事件となりました。
“独立戦争”のようなものだったのでしょう。
磐井氏は地元の英雄として、語り継がれています。
◆両手がない守神?!
磐井氏一族は当時の主流だったお墓の守神「埴輪」ではなく、石で人や馬を形取った「石人・石馬」を作りました。
一般的な「埴輪」ではなく「石人」を作ることで、立場の明確な違いを表現しているとも言われます。
また、土から作られる「埴輪」と違い、石で作られた「石人」は100年経っても壊れません。
そんなところからも磐井氏の想いを感じ取ることができますね。
磐井の乱で敗れた磐井氏は、自分が生前に造ったお墓に入ったわけですが、もちろん守神は「石人」です。
ヤマトの兵はこの「石人」を見て、墓の守神が何もできなくなるようにだったのでしょうか、ほとんどの石人・石馬の手足を打ち落としたそうです。
ふとしたお散歩で得た、新しい知識。
枠に囚われずに、好奇心のままに動いてみるって…楽しいですよね!
ではでは^^
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