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ブログ, 日本語をたのしむ

2016 - 06 - 03

「ご飯ができたよー」

夕飯どきにあちらこちらで良い匂いが漂ってくると、居ても立っても居られません。
今日の夕飯を作ったときのあなたは・・・家族のもとへ料理を運ぶときに、どう声をかけるのでしょうね。

 

夕飯どきになると、あちらこちらで美味しそうな匂いが漂ってきます。

「あいちゃん、ご飯できたわよ~」

お母さんが呼んでいます。

「ねぇねぇ、なぜ『ご飯ができた』と言うの?」

 

 

さて、あなたならどのように説明しますか?

 

 


 

 

 

「ご飯ができた」

 

 

■意味

 

「ご飯の準備ができた」ので、今からご飯を食べましょう、という意味です。

なんということはありません。

一見普通の表現のように感じますが、ここには日本人の”和の心”が隠されています。

では、その和の心についてみていきましょう。

 

 

 

■和のこころ

 

「ご飯できたわよ」と言うことはあっても、

「ご飯作ったわよ」と言うことは少ないのではないでしょうか。

 

つまり、I(わたし)が主語ではない表現であることがポイントです。

自己主張をしている表現ではありません。

ましてや、恩着せがましく伝える表現でもありません。

 

私が、ご飯を作った。

ご飯が、できた。

 

些細な点ですが、視点に大きな違いがあるのはおわかりでしょうか?

 

ご飯を「作る」ことは、とても意図的で計画的です。

それに対し、ご飯が「できた」ことは、意図も計画も感じられないほど“自然な”状態です。

ほどよく肩の力が抜けた表現になっています。

 

 

「ご飯ができた」には、たくさんの人への感謝の気持ちが込められています。

 

このご飯を作るまでの間、待っていてくれた家族への感謝

お米を買う収入を得てくれている家族への感謝

お米を買う収入を与えてくれている会社への感謝

お米を作ってくれている人への感謝

お米を運んでくれた人への感謝

料理するための器具を作ってくれた人への感謝

料理するための電気やガス・水道を管理してくれている人への感謝

 

そして、それと同時にそれらすべての“環境”にまで、感謝の心があります。

お米を実らせてくれた自然に感謝

大地、太陽、雨、四季・・・

 

言葉のもとを辿れば、感謝の範囲は広がる一方です。

 

このように私たちは日常的に、他への感謝の気持ちを表す言葉を多用しています。

”共に生きていることへの感謝”

 

 

 

いろんなところで、いろんな時間が費やされて、

最終的に調理をして食べられる状態に仕上げたのが、私。

 

あくまでも、私が作ったのではなくて「作らせてもらった」

という心が込められています。

多くの人や自然、物のおかげで「ご飯ができた」、と。

 

 

 

ぜひ、声に出してみてください。

 

「ご飯ができた」

 

 

「ご飯」に大いなる力を感じてきませんか?

その言葉に秘められた力こそ、

私たち日本人の和の心なのです。